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   2015年「年の瀬雑感」

                             2015.12.23
                             Web編集:独法師(A lonely Oldman

「露往霜来 ろおうそうらい」(露が降りる秋が過ぎ、霜が降る冬がやって来て、月日は瞬く間に去って行く)。

今年もあっという間に年の瀬をむかえた。歳を取ると時の流れが早いこと驚かされ、人生の短さに哀愁を感じる。年齢とともに時間の流れが速く感じるようになる理由として、古くは19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案した「ジャネーの法則」が有名だ。つまり、人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例するとの説だ。

だが、もっと単純に考えれば、子供の頃は見るもの、聞くのも未経験のことが多く沢山の発見があった。その上、好奇心も旺盛で何でも吸収しようと努力していた。そのことで時間を長く感じていたように思える。しかし、周りの世界が見慣れたものになってくると、少々のことでは感動しない。その分新鮮さや強い印象が薄くなる。だから時間が速く過ぎ去っていくように感じられる。

「時の流れを遅くする」には、常に好奇心をもって、新しいことを学び、新しい出会いを求め、新しいところに旅するなど・・・つまり脳へのインプット量をできるだけ多くする必要があるのだろう。

僕はといえば、体調不調が続いていることもあり、このところ新しいことに取り組む姿勢や意欲が衰えてきた。家に引きこもりがちの時間が多くなっている。これでは一日が短く、脱兎のごとく過ぎ去ってしまうのは当然。挙句の果てに物忘れが激しく、今しがたのできごとすら思い出せないことが頻発している。そう考えると暗い気分になってくる。

だが待てよ。このまま自信喪失のマイナス思考で、枯れて朽ち果てるには、チト早い気がする。気持ちの上ではまだ若いつもりでいるので、老いを素直に受け入れるにはもう少し時間がかかりそうだ。幸い体調も次第に良くなってきている。新しい年を迎えるにあたって、心機一転の境地でもうひと踏ん張りしようと、はかない希望を掲げている。

1.身辺雑記

1-1 愛別離苦

今年の始め弟を失った。享年70歳。子供のころ肺結核を患ったことのある弟は、その後はさしたる病気もなく元気に過ごしていた。ところが昨年暮れに突然入院した。すぐに見舞いに行けばよかったが、大したことでもなかろうと顔出しを怠っていた。ところが、2月になってから容態が急変し、あっという間に他界してしまった。死因は「間質性肺炎」とのことであった。病状が悪化してから何回か病院に行ったが、その時には意識混濁していて、ついに言葉を交せることもなく逝ってしまった。弟夫婦は子なしであった。夫婦仲が良く、二人で支え合って生きてきただけに、後に残された細君が不憫である。

兄は3年前に73歳で死亡しているものの、両親は90歳以上の長寿を全うしている。それ故、僕はサイチューン遺伝子(長生き遺伝子)を引き継いでいるものと確信していた。だが、弟の死でそのエビデンスは希薄になった。三人兄弟で唯一生き残っているものの、僕の長命はあまり期待できそうにないようだ。

そして10月朔日、妻が母のように慕っていた叔母が亡くなった。享年100歳。義理の叔母は、逗子市の郷土史研究家として死ぬまで現役で活躍していた。また、若くして夫君を戦争で亡くしたことからか、思想的にはリベラルな人で護憲運動にもかかわっていた。

その叔母に915日の敬老の日、内閣総理大臣から百歳を祝っての表彰状と銀杯が届いた。叔母は「大嫌いな安倍さんから表彰状と銀杯を、いただいたのよ」と喜んだそうだ。

国は「銀杯」贈呈のため昨年度は、およそ26千万円を費やしたそうだ。そこで今後は銀杯を廃止するか、材質を落とすか見直すようだ。高齢化が加速し、100歳を超える長寿が多くなっているとはいえ、年寄りのささやかな喜びをも制限するほど、情けない国になってしまったのか。

安倍総理には、子や孫の代まで、否、国家百年の計を見据えた、日本再生の道筋をしっかりつけてほしいと願ってやまない。

1-2 二人目の孫の誕生

「おじいちゃん、一大事!一大事!」と2歳の孫娘が、ご注進に来た。出産のため里帰りしていた娘からの言い伝えなのだろう。娘の陣痛が始まった。予定日を5日過ぎている。慌ただしく娘を車に乗せ、妻と孫の4人で産院にかけこんだ。

産院に到着してから1時間もたたないうちに、娘は分娩室に運ばれた。間もなくして、別室で待機していた僕たちのもとに「オギャー!オギャー!」と元気な産声が伝わってきた。10月27日午後5時59分、二番目の孫娘の誕生である。母子ともに元気な姿に安堵した。

この頃、夫が妻の分娩に立ち会うのは、珍しいことでは無くなったそうだ。「男子厨房に入らず」との、ふた昔前の価値観で育った僕には、想像できない風潮である。事実、娘の亭主は初孫の出産に立ち会って、誕生の瞬間を写真に写している。

二年ぶりに、わが家に赤ん坊の泣き声が響き渡った。赤子の表情や仕草は一瞬たりとも休みがない。口をむにゅむにゅしたり、あくびをしたり。と、コロコロ七変化する。誠にキュートである。ともかく二人の孫たちが、元気ですくすくと、優しく、思いやりのある子に育って欲しいと心から願う、爺婆である。

2人の孫をもって少子化問題に、いやがうえにも関心を持つようになった。少子高齢化が「国」という単位で見れば、百害あって一利なしであることは、人口統計学を待たずとも自明の理。とにもかくにも少子化だけをなんとかせにゃ、日本の将来は見えてこない。

ときに、産経新聞は621日付のコラム「日曜討論」で、"少子化対策 第3子に「1000万円」支援を"という提言があった。抜粋すると

<抜粋開始> まずは第1子対策に力を入れなければならない。日本では未婚で出産する女性は少なく、結婚支援が効果的といえる。第1子が生まれただけでは人口減少は克服できない。将来、その両親が亡くなると1人減となるからだ。子供に恵まれないカップルがいることを考えれば、第3子以降が増えない限り人口が増加に転じることはない。

そこで小欄は、第3子以降に、子供1人あたり1000万円規模の大胆な支援をするよう提言したい。2010年の社人研の調査によれば、子供が3人以上いる夫婦は全体の21・6%に過ぎず、2002年調査の34・4%に比べ激減した。対象となる人数は少ないのだから、第3子以降を断念する大きな理由である大学進学までの教育費について、塾代も含めすべて無料とするぐらいしてもいい。それぐらいの発想が必要ということだ。

 2005年度版「国民生活白書」によれば、子供1人にかかる費用は第2子は第1子の8割、第3子は6割程度で済むという。とはいえ、財源には限りがあるので、代わりに第1子、第2子に対する児童手当を廃止か縮小する。<抜粋終わり>

人口の減った国家で栄えた国はないという。このまま出生数、子どもの数が減少し続ければ、国の生産力はますます減退し、老人を支えるための医療費がかさむ借金国家になりかねない。この事実を踏まえ、国の政策の大転換は焦眉の急である。

フランスは日本とおなじく、過去に少子化の悩みを抱えていた国であった。ところが子どもを持つ世帯に手厚い経済的支援などを行った結果、出生率の回復に成功している。1995年代に、出生率が1.6人にまで落ち込んでいたものを、直近では2.0人まで上昇している。(内閣府統計:2011

やはり、子供を生むことで、得をするような社会にならないことには、苦労して子供を育てる気になれないだろう。今の日本は、子供向け公的支出が少ないため、子供をたくさんもうけない方が豊かな生活を送れる仕組みになっている。

日本の政治家は得票率の高い高齢者に、有利な政策を優先させているとの指摘がある。事実かどうかはさておき、もっと若者のことを考えた政策を実現してほしいと、思っている高齢者は割合多いようだ。

ともあれ、少子化対策の切り札は出生率の改善である。2014年日本の出生率は、1.43と過去最低になった。政府は、2025年に出生率を、1.8を基本目標にすると言っているが問題は山ほどある。

それを実現させるためには、まず政治の安定が不可欠であり、長期的展望に立った政策が須要である。政権基盤の強い安倍内閣に期待するところ、大である。

1-3 更新相次ぐ

後期高齢者になると身体のあちこちにガタがきて、心身ともに衰えが進んできた。この年頃になると、いろいろな意味でリニューアルが必要になってくる。一番に望みたいこと、それは脳リニューアルかも知れない。それはともかく、差し迫ったこととして、運転免許証の更新がある。

■免許証更新

75歳以上のドライバーは、高齢者講習の前に講習予備検査(認知機能)を受けなければならないこととされている。つまり認知症の進み具合をチェックするのである。認知症の疑いがあると、医師の診断を受け、認知症と診断されると免許がもらえない。なんとも恐ろしい検査である。

申し込みが遅れたために、近隣の講習会場はすでに予約はいっぱいで、大宮のS自動車学校まで出向くことになった。当日の集合時間は午後1時。集まった受講生は9名。うち女性2名であった。最初に、指導員の自己紹介があり、一枚の用紙が配られ、住所、氏名、生年月日、免許証番号などを記入する。 

そのあとに、いよいよ記憶力や判断力を測定する認知機能検査が行われた。このところ試験など受けたことがなかったので、かなりのプレッシャーをうけた。

内容は

1. 検査時の年月日、曜日及び時間を回答する。~「時間の見当識」

2.いろいろな絵を短時間で記憶させ、何が描かれていたかを回答する~。「手がかり再生」

3.時計の文字盤を描き、指定された時刻を表す針を描く~「時計描画」

このうち3の「手がかり再生」には難渋した。この試験は、部屋の前のスクリーンに4ツのイラストが映し出され、それを短時間に説明する。イラストの映像は次々に変わり全部で16個のイラストがあった。ベット、ライオン、オートバイ、バラの花・・・などである。僕はひたすらイラストを脳に記憶させていた。その後すぐに、ア行、カ行、サ行・・・を枡のなかに逆さまに書かせる課題が出された。

この課題は設問に関係のないダミーであった。これに頭を働かせていると、「先ほどお見せした16個のイラストを思い出して用紙に書いてください」と指示される。せっかく覚えたイラストは「逆さま書き」に集中している間に、忘れてしまった。

なんとか半分くらいは思いだした。23個はうろ覚え、残りは全く記憶から消えてしまっている。なにしろ3歩あるいたら忘れてしまう、「ニワトリ脳」には酷な問題であった。短期記憶の衰えに、気分的に落ち込んだ。

しばらくして採点結果がでた。その点数に応じて、① 記憶力・判断力が低くなっている方 ②記憶力・判断力が少し低くなっている方 ③ 記憶力・判断力に心配のない方、の3つの分類で判定が行われる。

満点にちかい98点を取った女性がいた。あと8人は「記憶力・判断力が少し低くなっている」との判定で、なんとか合格点に達した。「記憶力・判断力が低くなっている」と判定されると専門医の認知症診断をうけ、結果次第では免許取り消しもある。

この筆記テスト終わると、今度は視力検査があった。動体視力、夜間視力等 の検査を受けた。全ての検査が終わったところで、最後は3人づつに分かれて、実技試験が行われた。

すべての項目が終わったのは午後4時であった。始まったのは午後1時であるから正味3時間であった。

こうして、1名の落語者もなく、全員「高齢者講習終了書」をもらうことができた。だが、皮肉なことに認知機能検査で、満点近い成績を取った女性は実技試験の結果が悪く、指導官から免許証の返納を促されていた。

ちなみに、認知機能検査を受けた75歳以上の高齢者は全国で144万人、認知機能の恐れのあるドライバーは5.3万人(3.7%)であった。このうち医師の診断を受けた人は1,236人。348人が免許取り消しになった。(警察庁:2014)

今回の講習は事前に調べることもなく、なんの予備知識なしに望んだ。ところが後日、ネットを彷徨ってみると警察庁の公式ホームぺージに今回出題されたものと、同じ問題が記載されているではないか。これを見ておけばと後で悔やまれた。3年後の更新では満点近い成績を取ってやろう。

https://www.npa.go.jp/annai/license_renewal/ninti/ へのリンク

■パスポートの更新

体調不良でしばらく海外旅行を封印していたので、気に留めていなかったが来年1月でパスポートが切れることに気が付いた。これまでは10年有効のパスポートを申請していた。だが考えて見ると、これから10年間元気で海外旅行ができるかどうか、自信がなくなってきた。

5年有効の物にするか、10年にしようか迷っていたところ、愚妻は「そんなことより、そろそろ天国行きのパスポートをもらえるように努力しないと、地獄に行くようになりますよ!」とへらず口をたたく。愚妻は常から吾輩のことを、ぼけ老人あつかいにしている。その余計なひとことが癇にさわる。日ごろから善行を積んでいる吾輩が、地獄に行くはずはないだろう。

更新手数料は5年で11,000円と10年で16,000円。5,000円の差しかないが、結局、5年有効のパスポートにした。5年ごとに延長して、健康の証としての縁起物とするためでもある。

■自動車の更新

長年乗りなれた愛車「トヨタ・プログレ」は購入してから十数年たち、そろそろ買い替えの時期をむかえた。だが、車の使用頻度が少なく、メンテナンスもきちんとしているので、故障はなくエンジンの調子は良い。まだ長持ちしそうである。我が年齢を考えると、いつまでも運転を続けていける自信はない。古い車を乗りつぶして、その後はノーカーにする選択肢もなくはない。

しかし、電車やバスなどの交通手段が、すみずみ整備されていない地方都市に住んでいると、車なしの生活はたいへん不便である。そんな事情で、複数の車を所有している家庭が案外多い。僕もつい最近まで、セダンとミニバンをカミさんと使っていた。年寄りといえども、田舎で活動的な生活を送るために、自家用車は必要不可欠な移動手段となっている。

と同時に、高齢ドライバーの増加が事故率アップにつながっている。近頃、高速道路での逆走や、アクセルとブレーキの踏み間違えといった、高齢者特有の事故が目立つようになっている。何年か前のことだが、腰がえびのように曲がった、90歳を過ぎたお爺さんが高級車で、病院に乗り付けている光景には仰天した。

自分では安全運転を心掛けているつもりでも、加齢に伴う動体視力の衰えや反応時間の遅れなど身体機能の変化により、危険の発見が遅れがちになることが多々あるようだ。個人差はあるものの、そのことはよく自覚せねばなるまい。

僕が新車購入か、古い車を乗りつぶすか迷っていた7月初め、トヨタがコンパクトなミニバン「シエンタ」を12年ぶりにフルモデルチェンジした。新しいシエンタのスペックを調べると、赤外線レーザーと単眼カメラを組み合わせたシステムで、高い安全性能が謳ってあった。

つまり、自動ブレーキに代表される、衝突することをあらかじめ防止してくれる機能や道路上の白線(黄線)を外して車線を逸脱する可能性がある場合、ブザーとディスプレイ表示によって警報を発するなどの装置が備えられている。

僕は安全性を配慮した、新車購入を迷わず決めた。購入にあたっては運転を楽しむ走行性能よりも安全性を重視した。さらに、乗り降りしやすく、運転のし易いことも重要なポイントとなった。この点からセダンタイプは選択肢から外れた。着座位置が高く身体感覚になじみ易いワンボックスタイプは乗り降りが楽で運転しやすい。さらに小型車となると「シエンタ」が一番の候補となった。

対抗するライバル車は、ホンダ フリードである。フリードは前に乗っていたので運転のしやすいことはよく分かっている。しかし、フリードのモデルチェンジの日程は不明で、安全性能を備えた車種の発売まだ先のようだ。そんなわけで、トヨタ・シエンタを購入した。この車は人気が高いのか、7月に予約してまだ納車されない。何とか年内に届くよう交渉しているところである。

次に求める車は、人が運転しなくても、車が目的地に連れて行ってくれる「自動運転車」である。この「夢の技術」の実現に向け、自動車メーカーやIT企業などがしのぎを削っている。メーカーでは2020年あたりには実用化を目指しての開発が進んでいるという。長生きをして、その世界を体感したいものである。

1-4 心臓カテーテル手術に踏み切る

9年前に脳梗塞を発症した。幸い発見が早く血栓溶解療法(T-Pa)で後遺症も残らず完治した。原因は心原性脳梗塞で不整脈(心房細動)の影響で血栓が脳に詰まったことによるものであった。予後は抗凝固剤のワーファリンを服用しながらも安定状態を保っていた。ところが加齢とともに不整脈の出る頻度は多くなり、4年ほど前から、不整脈に悩まされている。

健常者の脈拍は1分間に6090回である。不整脈は脈の遅い徐脈と脈の速い頻脈とあるが、僕の場合は頻脈性不整脈で、発作が起こると、1分間に130140回と心拍数が速くなる。この不整脈は週に23回、数時間にわたって起こる。時には23日続くことがある。発作が長期間におよぶと動悸や息切れで呼吸が苦しく「死んだ方がましだ」思うことすらある。安静にしていても発作が治まらず、これまで3回の入院加療を余儀なくされた。

頻脈の治療は薬物治療を行ってきた。脈拍を安定させるためシベノール、ワソラン、サンリズム、メインテート、ヘルベッサーなどを症状に応じて使い分け、一時的に発作を和らげていた。また、脳血栓予防として、抗凝固剤を常時服用した。初めの凝固剤はワーファリンを使っていた。この薬は定期的に血液検査を行い、薬の効果をチェックして服薬量を調節しなければない煩わしさがある。その上、納豆や緑黄野菜などビタミンKを含む食物の摂取の制限がある。2013年に、新薬プラザキサやエリキュースが開発された。これは、血液検査や食事制限がないので使いやすい薬となった。薬価が高いのが欠点。

このような方法を根気よく続けたものの、改善効果に著効がなく、薬物治療の限界を感じるようになってきた。そこで、心房細動の根治的な治療を模索していた。そんな折、近所のかかりつけの先生が、大宮赤十字病院のN先生を紹介してくれた。N先生率いる循環器科は心房細動の、根治的治療としてのカテーテルアブレーション(心筋焼灼術)を得意とし年間600件以上の症例実績を持っている。

カテーテルアブレーションとは、カテーテルという細い管を心臓内に挿入し、不整脈の原因となっている異常部分を電気で焼き切る治療法で、 医学の進歩、医師の技術や医療機器の進歩にともなって、急速に発展した新しい治療法である。

7月はじめN先生を訪れ、カテーテルアブレーション手術の治療効果やリスクなどについての説明を受ける。先生は口数が少ないが、温和な人柄と、なにより自信を持った語り口に信頼感が高まった。

早速、心断層エコー、心電図、レントゲンといった一定の検査を受けて、手術の日を待った。7月13日の手術当日、妻に付き添われて手術室へと運ばれた。重篤な心臓病やがん治療に比べると、侵襲(身体を痛める)も少なく安全性の高い手術である。だが、心臓に針を通す手術は嫌なもので緊張した。

手術室に入ると、スタッフの多いのにびっくりした。当日の手術は8組予定されているとのことで、同時並行して手術が行われているようであった。いよいよカテーテルの挿入が始まる。右足の付け根から胸部に向かって管が移動していることは感覚として分かるが、いつ心臓にとどいたのか全く感じない。すでに局所麻酔を投与されているので痛みはほとんど感じない。そのうち睡眠薬が効いてきたのか、うつらうつらと夢心地の気分になってきた。

手術は通常2、3時間程度で終るそうだが、僕は4時間以上かかった。実際の手術は若いI先生が担当した。心臓の異常な心筋部を見つけ出し、ピンポイントで高周波通電を行う施術は高度な技術が必要とされる。先生は次々に発生してくる不整脈の根源を、モグラたたきのように根気よく、電気焼灼(しようしゃく)を続けてくれた。

手術は朝の9時から始まり1時すぎに終わった。その間、僕は寝込んでいたのだろう途中経過の記憶がない。病室にもどり傷口の出血が止まるまで絶対安静を命じられた。足を曲げることも、寝返りを打つことのできずに仰向けにじっと6時間、我慢の一文字。同じ姿勢でいることがどんなにつらいことか、身をもって感ずる。忍耐力の欠落している僕には、これは手術より辛かった。しかし、妻の介抱に支えられなんとか、乗り切ることができた。

そして、予後の経過観察のために4日間入院した。退院した後、2,3週間は不安定で苦しい日々が続き、手術の成功を疑った。しかし、1か月を過ぎたころから不整脈の発作もなくなり、安定してきた。そして、4か月経過したところで、ホルター24時間心電図などの精密検査の結果、不整脈はおおむね完治する見込みとなった。

まだ安心はできないが、何の予兆もなく突然発症する、たちの悪い不整脈から開放される日は間もなく訪れることだろう。当面は再発しないよう養生に徹することにしよう。無理は禁物だ。

今回の手術を担当したI先生とスタッフの皆さん、そして女房殿の介抱に、ただただ感謝あるのみ。

ところで、ついに2014年の年間の医療費の総額が40兆円を突破した。人口の高齢化に伴って高齢者の医療費が増えるのは仕方ない面もあるが、その金額を知ると驚く。75歳以上の人が前年度に使った医療費は1人当たり平均で931000円に達するのだ。75歳未満は211000円だから何と4倍以上である。(日経ビジネス)

75歳以上の医療費がこのまま増え続ければ、健康保険や国の財政を大きく揺るがすことになる。終末医療を含め、高齢者医療のあり方の抜本的な見直しに迫られている。

ちなみに、僕の入院費用は213万円、請求額は68.9万円。そのうち高額療養費として53.9万円が還付され、実際の自己負担額は15.3万円であった。このことで、なんとも面目なく肩身の狭い思いをしている。

2.トリビア(雑学)

■左右学への招待

わが家のすぐ前に、ニュータウン開発にともなって設置された調整池がある。この池を取り囲むように作られた公園は、周囲約1,200メートルの遊歩道・サイクリングコースが整備されている。

早朝この池の周りを45周ウオーキングすることが、僕の朝飯前の仕事になっている。僕の帰るころから、犬を連れて散歩したり、ジョギングやウオーキングする人々が集まってくる。見ていると皆、示し合わせたように遊歩道を左回りしている。遊歩道の道幅は広いので、逆廻りしても邪魔になることはないはずなのに。それでも10人に1人くらい右回りするへそ曲がりがいる。もちろん僕は左回りである。

それでは陸上競技のトラックはどうだろう。トラックを左回りに走るのは国際陸連(IAAF)が競技規則として定めたのが始まりで、その国際ルールブックにはこうある。「走る方向はレフトハンド・インサイド(左手を内側に)」。これが決まったのは1913年のことであった。

左回りを採用した正確な理由は不明だそうだが、 考えられている説としては、心臓が左側にあるからそちらを内側にすると安心感がある。心臓が左にあるため重心が左にかかりやすい。多くの人が利き手である右手を外側にしてバランスをとった方が速く走れる。右利き左利きにかぎらず右足が長いなど様々な説があるが、はっきりとしたことはわかっていない。

競馬場はどうか。日本の場合は、全体的には右回りの競馬場が多い傾向にある。JRAの競馬場うち、中山、阪神、京都、小倉、福島、そして北海道の札幌、函館と、7つが右回り。左回りは、東京、新潟、中京である。そして、右回りに強い馬、左回りに強い馬、それぞれいるそうだ。

余談だが,若いころ中山競馬場の近くにあった、会社の独身寮に住んでいた。所在のない休日には馬券を買いに競馬場に足を運んだ。血統、能力比較、適正予想、展開予想、騎手、枠順などなどと、いろいろ予想を立てて勝負に望んだが勝てなかった。もともと博才がなかったのか、緻密な情報集めと推理に乏しかったのか。意気揚々と出かけたものの、帰りは通称「おけら街道」呼ばれる農道を、負け組と一緒に、とぼとぼと帰ってきたものである。

話を本題にもどそう。右や左を調べていたところ、埼玉大学名誉教授の西山賢一氏の「左右学への招待」との興味深い本を発見した。世の中には多様なことを研究している学者がいるものである。日常の暮らしの中に見られるモノやコトなどを手掛かりに右と左,右回り,左回り,慣習の中で見られる左右の優劣などをわかりやすく解説した「左右探索」の本である。大変興味深く、知的好奇心を刺激された。

先生は「学問は雑学がたくさんなければ、インスピレーションがわかない。雑学を支えているのは旺盛な好奇心である。そして好奇心こそ、人生を豊かにしてくれるカギになっている。たくましく生き続ける生命力をささえているのは、ありふれた好奇心である」と提唱している。雑学の中にノーベル賞のヒントが潜んでいるのかもしれない。

「左右学への招待」の一節を紹介する。

左右を考えるところから文化は始まった。人間では90%ほどが右手で10%ほどが左利きである。サルでは利き手がなくて、どちらの手も同じように使えるらしい。ところが人間はずいぶん昔から、右手を利き手にしている使っている割合が多かったようだ。もっとも古いデータでは、180万年ほど前に生きていた人類の先祖ですでに、60%近くが右手だったとされている。

中略 そうすると人間であることの特徴として、右と左を区別するという点があげられるだろう。そして地球上の多くの民族では、共通して右を優位とする文化を育ててきた。

<左右学への招待 142ページ>

西山賢一さんの著書『左右学への招待』が紹介された、久米宏氏との対談

Youtube動画
 音声(約30分)

■あなたは同性愛婚を認めますか

わが家の前にある、件の公園に、二人で仲良く散歩している50過ぎの男性をよく見かける。初めのうちは何と仲の良い男同士であろうと、気にかけなかったが、あまりにも親密な態度に違和感を覚えるようになった。断定することはできないが、どうやら「ゲイ同志」のようだ。

僕は同性愛者に、ことさら差別意識をもっているわけではない。だが、生物学的な見地から見ると、子供を作り自分の種族の生存を保障するという、生物の目的を妨げるものだから、同性愛に対して一種の違和感を覚える。偏見を持ってはいけないと思いながらも、子孫を残せない形態には潜在意識として、少々の拒絶反応を示す。

去る、11月5日付き朝日新聞の夕刊に「多様な愛 認める街へ」<同性パートナー渋谷・世田谷区で制度化>との記事が一面トップに踊った。生活を共にする同性カップルを夫婦と同じような関係の「パートナー」と認める制度が全国に先駆けて渋谷区と世田谷区で始まった。

これは、結婚というものは男と女がするものであり、同性同士でするものではないとの、これまでの伝統的な価値観を否定するものである。この問題は、わが国の家庭の在り方の根幹に関わる事柄で、極めて慎重に検討を要する案件であるはずだ。個人の自由も大事だが、もっと大切なものを失っていないか。

憲法に抵触するかも知れない大問題を、一地方議会の条例だけで進めてよいのか疑問はのこる。自民党の谷垣幹事長は「仮に法律ができているならともかく、法律ができていないときに条例だけで対応していくことは、社会生活を送る制度の根幹であるだけに、いろいろな問題を生むのではないか」と述べ、懸念を示した。

日本最大で世界有数のゲイタウン「新宿2丁目」を有する新宿区議会は、なぜか音なしの構え。結婚は「両性の合意」を前提とした日本国憲法第24条と、それを前提とした民法体系にもとずいている。条例は法律の範囲内でしか制定できないことを、良識ある新宿区議会議員は理解しているようだ。

もとより、同性愛者への差別は絶対あってはならない。同性愛者だからという理由で、アパートが借りられない。病院での面会などで不自由がある。最期の看取りができないということが本当にあるのであれば、法務局に行って人権侵犯の申し出をすれば、法務省当局が調査し関係者に勧告してくれよう。

<マメ知識>
最近、LGBTとの言葉をよく聞くようになった。LGBTとは、性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称である。<wikipediaより>

■ゲイ・レズビアンの祭典(ハッピー・マルディグラ)

定年を迎えた一時期、オーストラリアのシドニーに短期間滞在したことがある。 その時、現地には日本人同士または日本人と外国人のゲイカップルがたくさん住んでいた。州によって異なるがオーストラリアは、同性パートナーシップが認められている国である。ちなみに、シドニーはサンフランシスコについでゲイ人口が多い都市である。

現地で、日本人の若いゲイカップルと知り合った。明るく、素直で純粋な人柄の好青年であった。彼らに誘われて、シドニーのゲイ・レズビアンの祭典マルディグラ(MARDI GRAS)を見学した。毎年2月の最終週土曜日か、3月の第一週土曜日に年1回だけのパレードが開かれる。さすがに1年に一回の世界最大級のゲイの祭典というだけあって、その規模は見ごたえがあった。

まず、レズビアンのバイク軍団から始まる。バイクに乗った若いレズビアンが轟音を鳴らしてパレードの先陣を切る。警察や消防所のゲイ団体が「ハッピー・マルディグラ」叫びながらこれに続く。この日にカミングアウトした署員もいるそうだ。裸で水着のゲイ100名以上の練り歩きは圧巻。中年のおばさんがいるかと思えば、怪しいコスプレした20代前半の可愛い綺麗なレズビアンも参加している。障害者のゲイパレードもあった。終いには一般市民まで参加しての、どんちゃん騒ぎが始まった。こうして、パレードは夜の7時半ごろから11時過ぎまで行われた。日本では見ることのできない異文化体験である。

この盛大なゲイパレードは、ゲイ社会を寛大に認めているシドニー当局の姿勢を感じた。だが、オーストラリアは連邦制国家で、州によって法律が異なる。シドニーの所在するニューサウスウェールズ州では同性愛者は尊重されるが、タスマニア州や西オーストラリア州・南オーストラリア州では、同性愛者は犯罪者として刑事処罰の対象となる。

同性愛者の扱いは国によって異なる。そもそも、キリスト教の律法では、同性愛は主なる神様が嫌悪される変態的な行為で、重い罪として見做されている。この点、日本は同性愛者に対して、至って寛容な国である。

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■ゲイの餌食になりかかった話

40年ほど前、仕事でニューヨークに行った時のことである。1970年代のニューヨークは治安の悪い街の代名詞であった。夜の地下鉄は、悪の巣窟と恐れられ、裏道では10ド ルの為に殺しもする犯罪者が横行していた。事実、ニューヨーク支店ではトイレの出入りまで、鍵を持参して用を足すほどの徹底ぶり。賊がトイレに潜んで犯行におよんだ事件が報道されていたからである。

見知らぬ異国を、ブラブラと一人で歩きまわるのは楽しいものだ。しかし、夜の単独行動は危険と背中合わせでもある。そんなリスクを冒してまで、街をふらつくほど愚かな男ではない。まして出張中の破廉恥な不祥事は物笑いの種になる。いくら物好きの僕でも逡巡する。

ところが、宿泊先のホテルの目と鼻の先に、ポルノ映画の上映館があった。夜でも街路灯は昼間のように輝いている。これならまず安全であると判断した。

せっかくニューヨークまで来たことだし、本物のポルノ映画を見たいという衝動に駆られた。当時の僕は30代半ばで、勃々たる気力に溢れていた。若干の後ろめたさ持ちながらも映画館に入った。こちらでは、もうポルノ映画は飽きられたのか観客はまばらであった。僕は遠慮がちに後方に席をとった。

シネマスコープの大スクリーンに映し出された映像は、シャロンテート張りの美人女優が黒人男性と絡み合っている。その場面や、あの場所の大写しに度肝を抜かされた。映像も綺麗でさすが本場物は違うと感心した。そして、超ファンタジックな世界に没頭していた。と、そのとき、横を向くと大柄な黒人男性がしのびよってきた。男は僕の股間に手を延ばしている。僕は「Stop! Stop! 止めろ、止めろ」大声でどなった。

暗闇の中の男の表情を目を凝らしてよく見ると、たらこ唇をした人のよさそうな奴だ。伸ばした手のヒラの白さが印象的だった。男は大声にたじろいで、気まずそうな顔をして、そそくさと立ち去った。危うくゲイの餌食になりかかった一幕であった。

映画館では何ごともなかったように、画面一杯に、まだ男女のあそこを映しだしている。こんなハードコアポルノは、慣れてしまうとすぐ飽きがくる。僕は早々とホテルに退散した。

ゲイはマッチョな男性を好むらしい。小柄な東洋人の僕が何故、ゲイの相手に選ばれたか不思議である。単に映画に興奮して、いたずらを仕掛けただけだったのかもしれない。

それにしても、最近のことはきれいさっぱり忘れるが、何十年も前のことはよく覚えているものである。この辺の話は、もう時効のことであろうが、あまり品のいい内容でないので、ここだけにしていただきたい。

3.旅行

■冬の北陸路

2月の始め、雪景色が見たくなり北陸路を巡った。冬の風物詩として有名な金沢兼六園の雪吊。谷間の豊かな自然に囲まれた合掌造りの五箇村。日本随一の奇勝として名高い東尋坊。樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれ、静かにたたずんでいる禅の里「永平寺」などを訪れた。

降り積もる雪に囲まれた観光地。そんな光景をイメージして旅立った。ところが暖冬の影響で情緒豊かな雪景色は見ることができなかった。金沢のタクシー運転手いわく「今年も金沢は雪が積もらなかった。ここ何年も金沢らしくない冬です。スノータイヤはほとんど使いません。大雪でも不思議と1週間くらいでなくなってしまいます」そうした暖冬異変が続いているそうである。

旅行中の降雪に望みを托したが、雪は降らなかった。それでも、北陸新幹線開通前の静かな観光スポットを、地産品や名物を食べ歩き、冬旅を楽しむことができた。

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■北海道ドライブ

5月の連休、畏友O君から「フェリーに車を持ち込んで、北海道にドライブしないか」と連絡が入った。無聊をかこっていた僕は二つ返事で賛同した。妻たちも誘ったがフェリーと聞いて敬遠されてしまった。やむなく、爺さん二人の与太道中となった。O君とは8年前、アメリカ西海岸からシカゴを経由してフロリダのキーウエスト半島まで、一か月にわたって長距離ドライブをしたことがある。しかし、今ではそんな体力もなくなり、8日間の、ほどよい日程を組んだ。

6月はじめ、フェリーは商船三井の12,00トン級の大型船で、茨城大洗港から苫小牧間を約18時間かけてのゆったりとした船旅であった。往路は快適であったが、復路は低気圧通過中で大荒れの海となった。現地ドライブは知床半島を中心に、その他いくつかの観光地を巡りながら、自由気ままな旅を楽しんだ。

知床半島は2005年に「世界自然遺産」へ登録された。「最後の秘境」「手つかずの自然が残された場所」と形容されており、まさに、原始の北海道を彷彿させる深く豊かな自然が残されている。世界的に見ても魅力的なエリアである。

しかし、知床半島は端っこまで人間が容易に行くことはできない。旅行者が車で奥地まで入る道路がつくられていないからだ。このため観光船から知床岬を遠めに眺めることしかできなかった。

本当の自然を求めるなら、自力で崖や道無き道、熊がいる原生林を歩いていく、探検しかないだろう。しかし、知床の大自然を未来永劫に伝えていくために、簡単に車で入れるような観光地化は極力さけて、これまでに積み上げられてきた自然と共存するためのルールを慎重に守っていきたいものである。

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(余談)

O君はニッカウヰスキーの余市蒸溜所を見学したいと言った。僕はスコットランド・インバネスで本場の蒸留所を見たことがあるので、それほど興味がなかった。下戸の彼がどうして興味持ったのか意外に思っていたら、NHK連続テレビ小説「マッサン」の舞台で有名なり、今や人気の観光スポットになっていたのだ。観光客は多かったが、緑陰に囲まれた雰囲気のある建物は、都会の喧騒からタイムスリップしたような空間であった。

そういえば、国産ウイスキーが誕生して約90年。サントリー、ニッカの両社は国産ウイスキーの代表であり、いまやその味は本場スコットランドをはじめ、世界のウイスキー好きを唸らせている。昨年サントリーの「山崎シングルモルト・シェリーカスク2013」が世界最高のウイスキーに選出されている。

そして、サントリーHDが米ウイスキー大手ビーム社を、16500億円で買収した。これで、サントリーのスピリッツ事業の売上高は世界市場でシェア3位に踊りでた。その巨大な買収額に驚いた。バーボンウイスキーのアジアでの拡売を、期待しての戦略であろうが、日本を代表する偉大な会社のM&Aが、企業収益の負担にならなければよいが。

4.写真展

「観」写真展

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