2017 年の瀬雑感 

2017-12-20 Web編集:独法師
身近な知りあいが重篤な病に罹ったり、他界したりと残酷な知らせが多くなりました。わが身を顧みると今年も平穏無事に普通の毎日が淡々と過ぎて行きました。この無聊をかこつ日々に、そこはかとない幸せを感じています。

ポジティブになる方法として「前向きに生きよう」とよく言われます。しかし、年寄りが前向きに生きようとしても、前を向いたら死しかありません。この頃は昔のことを思いだす日が多くなりました。過ぎ越し方を回想し、楽しかった思い出を掘り起こし、ひねもす退屈を楽しんでいます。老人は過去に生きる!

2017年「年の瀬雑感」をお送ります。「お前の文章は長くていけない。もう少し短く書けないのか」と叱責される方が一部いらっしゃいます。しかし、しょせん、呆け老人が感興の赴くままに書き散らかしている、たわごとです。暇つぶしに気楽にお付き合いいただけたら幸甚に存じます。

1. 寛解から完治へ

長年苦しめられていた、心房細動の根治的治療としてカテーテルアブレーション手術を2年前に行った。これは、不整脈を根治させる方法として近年多く用いられている。ただ、この治療の欠点は再発率が高いことである。一般的な再発率は30%前後だが、僕のように心房細動の初発発作から長期間経過して慢性化している場合の再発率は50-60%前後と高い。

僕は手術後3か月は不安定な状態が続き手術前より苦しい時があり、手術の成功が疑われた。だが半年を過ぎてからは症状が安定し、1年経過した頃から出血のリスクのある功凝固剤(プラザキサ)の服用を中止した。そして、今年の7月で満2年を経過した。精密検査の結果、再発の兆候はなく根治的治療は成功し、寛解から完治と言える状態になった。完治は、病気が完全に治ることを意味していて、寛解(かんかい)とは症状が一時的にでも消えたり、安定したりすることを意味している。

心房細動の完治は大変な僥倖に恵まれたものの、困ったことが起こった。それは肩こりと腰痛の再燃である。

僕は、長きにわたって熱を入れた趣味にゴルフがあった。定年後は実家で、両親の介護の傍らゴルフに打ち込む生活を送っていた。そして、機会があればスコットランドに渡り「ゴルフ三昧のロングステイ」を目論んでいた。

と言うもののゴルフの腕前は、アベレージゴルファーの域をでるものではなかった。「好きこそものの上手なり」の諺があるが、僕の場合は「下手の横好き」の方で、努力に比例した上達は望めなかった。それでも、ドライビングレンジへ熱心に通い、コースで実践を積んでいた。それが災いしたのか、腰痛と肩こりは持病となった。

スコットランド一人旅 (リンクスゴルフと全英オープン観戦)

閑話休題

話はさかのぼること10年前。テニスのプレイ中に突然脳梗塞に見舞われた。だが、テニス仲間の機敏な連携で、血栓溶解治療(t-PA治療)を施術することができた。この治療は時間との戦いで、発症してから3時間以内に処置しなくては効果が少ないとされている。(最近では4.5時間に延長された)僕の場合はかなり重篤な症状で、少しでも治療が遅れたら、後遺症のみならず一命も落とすところであった。けれども運よく、18日間の入院加療で後遺症も残らず、普通の生活を送れるようになった。それからは過度な運動を慎み養生に励んでいた。

しかし、脳梗塞が誘発したのか、しばらくして心房細動に侵された。この病で直接死亡することはないが、心原性脳梗塞のリスクが高くなる。僕の場合は発作が激しく、もう死期が近づいているのではないかと、錯覚するほど苦しんだこともあった。このため何回か入院治療を余儀なくされた。それから数年間心房細動に苦しめられた。

ところが不思議なことに心房細動が起こっている間は、腰痛の苦しみからは開放されていた。そして、心房細動が完治したら再び腰痛に悩まされた。心房細動という重しが体全体にのしかかているときは、腰痛などが暴れる余地がなかったのか、この重しが取れたとたんに腰痛がのさばってきたようである。

「腰が痛い、痛いと」と言って、洗濯物の取り込み、ごみ出し、掃除掛けなど家事一切を手伝わない。このため妻からは同情されるどころか「役立たずの宿六」と疎まれた存在になっているようだ。亭主の面目を保つためにも慢性化している腰痛・肩こりの治療は、差し当たりの課題となった。

そこで、多くの人が行っている、整体院での電気治療やマッサージそして針灸も始めた。毎日のように通った。確かに施術を受けたときは気持ちがよく、直った気になるが長続きしない。すぐに元の状態に戻ってしまう。

整形外科にも訪れて、レントゲン、MRI、CT検査を受けた。医師は「病的所見は見当たりません」と言う。僕は「この痛みはどうしたら直るのでしょうか」と食い下がる。医師は「加齢現象ですから、どうしようもありません。多少の痛みは我慢するしかないでしょうね」とつれない返事。加齢では仕方ないとはいえ、なんだか納得のいかない、面白くない会話のやり取りであった。

廃用性萎縮(はいようせいいしゅく)という医学用語がある。過度に安静にしたり、体を動かさなくなったりすると、筋肉が衰えて関節の動きが悪くなるそうだ。要するに、人の器官や機能は適度に使えば発達し、使わなければ退化・萎縮するということである。

僕は、毎朝健康管理としてウォーキングをしていた。でも、ウオーキングを一時間ほど続けると関節への負荷がかかり腰痛が辛い。それでも、健康を維持するためには積極的に運動を取り入れなくてはならない。ウォーキングをすれば足腰が痛くなる。こんなジレンマに陥った。

. 水中トレーニング

そこで思いついたのが、水中運動である。これは、筋肉への負担こそ陸上を歩く時に比べると増すが、関節などへの負荷は少ないため,整形外科的手術を受けた患者に対するリハビリテーションとして有効であると言われている。陸上でウォーキングをすると腰痛が出るというような人でも、気軽に取り組むことができる良い方法とされている。

家の近くに温水プールがある。そこで腰痛改善のため、今年に入って温水プールの水中運動を始めた。水中ウォーキングで軽く準備運動をして、その昔得意としていたクロール泳法を始めた。ところが25メータープールを泳ぎ切れない。プールの中ほどで沈んでしう。こんなはずはないと再度挑戦したものの、下半身が沈んでしまって息継ぎも思うにならない。

僕は若いころ、スキューバダイビングに熱中したことがある。JSDAのインストラクターのライセンスをもっていた。また、クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライに習熟し、泳ぐことにはある程度自信があった。それがいつの間にか筋力が衰え水中でのバランスが取れなくなってしまった。まさかこんなに筋力が衰えていたとは想像していなかった。このことで年の初めから、精神的なダメージを受け落ち込んだ。改めて老化を自覚した。

それからは、暇があればプールに通って衰えた筋力の回復に努めた。1月、2月、3月・・・と回を重ねるごとに筋力は向上した。一年たった今では、全力のパワーでクロール25mを泳ぎ、少し休んでから再び全力で泳ぐ、いわゆるインターバルトレーニングの真似事ができるようになった。これによって、肩、大胸筋、腕、腹筋、腹斜筋、脚の筋肉、ふくらはぎ等が鍛えられたようで、肩こり、腰痛がかなり改善された。

インターバルトレーニングは、新鮮な血液や酸素を体全体に供給してくれる無酸素運動なので、心臓の衰えを防ぐ効果もあるようだ。また、確たるエビデンス(証拠)はないが、毎年梅雨から夏にかけて発症する、頭部や陰部湿疹が今年はなかった。プールの塩素殺菌(1.0mg/リットル)が影響しているかも知れない。

プールで汗を流し心地よい疲労を感じながらのひと時は、何とも言えない爽快な気分になる。水が肌に伝わる感覚は格別で、水圧がかかるのも体にいいようである。

一緒に泳いでいるスイマー達は、オールドパワー全開の女性が大半だが、たまに可愛い競泳用水着でスイスイ泳いでいる若い女性を見つけると、年甲斐もなく、いいがたい刺激を感じることもある。とにかく、良い遊び場所を見つけた。

<余談>

両親の介護のために定年後の一時期、実家(千葉県東金市)で暮らしていた時のことである。近くのスポーツマッサージ療院に通いゴルフで痛めた腰痛の治療を行っていた。院長は有名なトレーナーで、名のあるスポーツ選手が治療を受けていた。その中に長嶋茂雄さん高橋尚子さんがいた。縁あってお二人から揮毫をいただいた。長嶋さんは、当時(2001年)まだ元気であった。

2004年3月、長嶋さんは心臓で発現した血の塊が脳に飛び脳の動脈を詰まらせる、心原性脳梗塞を発症している。この病気によって右半身の麻痺と言語障害が残った。僕はその3年後に長嶋さんと同じ心原性脳梗塞に襲われたが、後遺症もなく健康体で生きている。二人の明暗を分けたのは、脳梗塞発症から画期的な特効薬(t-PA)を投与するまでの時間にあった。

噂では長嶋さんは愛人宅で発症したとのこと。世間体を気にした妻・亜希子夫人(故人)は病人を一旦自宅に呼んで、それから救急車で病院に向かったそうだ。この間の時間ロスが不運なことになってしまったようだ。
寝たきり状態は避けられないほどの重症を負ったミスター・プロ野球は、壮絶なリハビリに取り組み医師も驚くほどの回復を果たした。そして2013年国民栄誉賞を松井選手と二人で受賞した。この大イベントで松井選手の投げた球を、封印された右手を残し、左手一本でバットを振った。同じ病を患った同志、そして同郷の先輩の晴れ姿に涙のこぼれるほどの感動を受けた。

3. ヤモリのリーちゃん

昨年の初冬、わが家に一匹のヤモリが飛び込んできた。奴はガラス戸の隙間に入り込んでしまって捕まえることができない。一両日観察していたが,ヤモリはガラス面ぺったりへばりついてジッとして動かない。その間、獲物を食した様子はない。このまま死んでミイラになってしまうのかと、思っていたら、いつの間にか見えなくなっていた。これから厳しい寒さに生き残ることができるのか気になっていた。

その、ヤモリが正月に入って再び現れた。遊びに来ていた孫娘が寝布団の間から見つけ出したのである。ヤモリは大きな目をクリクリさせながら元気に動き回っている。そのお茶目しぐさが愛らしい。それを見た2歳の孫は、アァと声を出したまま動かない。よほど驚いたのだろう泣くのも忘れて固まってしまった。しばらくして母親に抱かれて、我をとりもどしのか大泣きをした。

一方、4歳の孫はイモリを手のひらに乗せ、頭を撫でたり、リーちゃんと名前をつけて可愛がっている。この子は小さい時から、動物や昆虫が大好きで、芋虫を見ても怖がらず、最近はダンゴムシに興味を持って世話をしている。少し変わった子だ。

ヤモリは、トカゲの一種で、家の害虫(シロアリ)や虫(蜘蛛、ゴキブリなど)を食べて生活し、夜行性のため、めったに姿を見ることができないようだ。暖かい地域に生息し、日本で会うヤモリの大半がニホンヤモリという種類である。

金運のシンボル、夢占いでも吉夢とされるヤモリは、数回現れたがその後ぱったり見えなくなり、その存在が気になっていた。だが、残念なことにミイラになって最近発見された。亡き骸は孫たちによって丁重に庭の片隅に埋葬された。

ところで、孫の行動を観察していると、ヤモリ好きの上の子の性格は石橋を叩いて渡る慎重派。下の子は好奇心旺盛で、危ないものに平気で触ろうとする無鉄砲派。姉妹でも性格が違う。

人間の性格には、生まれ持っての性格と、生まれた後に周囲の環境によって培われる2種類がある。しかし、総じて言うと「後天的な環境」からの情報量が多いので、環境要因は人格形成に大きな影響を与えるかも知れない。二人の孫がこれからどんな性格に育ち、どんな人生を歩むのか楽しみだ。が、それを見届ける時間は少なくなった。

話は変わる。まだ先の話と思っていたら、政府は天皇陛下の退位日を2019年4月30日とし、皇太子さまが翌5月1日に新天皇に即位して、その日に新しい元号を施行することを発表した。新元号は政府が来年中に発表する方針だ。平成は31年4月末日で幕を閉じることになる。2019年5月から新元号に変わるわけで、1年半たらずで「雅子皇后」が誕生する。美智子さまから皇后としてのお勤めが引き継がれるわけだ。

<中でも重要なのが、"御養蚕"。これが皇后教育の"壁"になるのではと、懸念の声が上がっている。皇室と養蚕のつながりは古く、日本書紀にも記述があるほどの歴史のある行事で、歴代皇后陛下の仕事として、受け継がれてきている。美智子皇后さまは目の前で蠢く数百匹の蚕を前に、『まあ、かわいい』と微笑みながら素手で取り上げて、丁寧に網に移していたそうだ。>(デイリー新潮)

虫が苦手とされる雅子妃がストレスを感じることなく"御養蚕"の儀を引き継がれることを願ってやまない。市井の老人が皇室のことに気を揉んでも、詮無いことではあるが、わが家のヤモリ騒動から余計な心配事をした。これが杞憂であって欲しいものだ。

4. ハロン湾の優雅な休日

東南アジアは仕事を除いて観光では、ほとんど足を運んでいない。理由は、蒸し暑さに弱い僕の身体が、その地域を敬遠したからだ。しかし、遠路の旅はだんだんきつくなってきた。そこで、日本からも気軽に行ける距離で、冬場の涼しい時期を選んで、ベトナム・ハロン湾のクルーズに参加した。1月半ば、U旅行社のツアー参加した。参加者6名の面々は、成田空港から6時間の空路を経てハノイ・ノイバイ空港に到着した。そして、2泊3日をかけてハロン湾の深部までクルーズする企画である。その後ハノイ市街観光する。

まずは、ハノイから陸路で約4時間。ハロン湾までは遠い道のりであった。6名で占有した大型バスは、ガタガタ道をひたすら走る。宿泊初日はクルーズ船で、ぼんやり夜のハロン湾を眺めながら旅の疲れを癒した。
日程:1月13日~1月18日(6日間)

ベトナム北部、クアンニン省に位置するハロン湾は、43,400ヘクタールにもわたる広大なエリアに、石灰岩からなる大小1,600もの島々が奇峰の如くそそり立つ、神秘的な景観が特徴だ。この風景はまさに自然の織りなす驚異であり、水墨画にも似た世界から「海の桂林」とも呼ばれている。1994年、ユネスコから世界自然遺産に指定された。その美しい景観は、世界各地の旅行者を魅了し続けている。

僕は、船内で見られる幻想的な夕陽、遮るものが何もない満点の星空、美しい日の出など想像しながら、素晴らしい写真が撮れることを期待していた。ところがこの時期は乾季で雨は降らないものの、晴れる日が少ないようだ。事実、鉛色の空を眺める3日間であった。晴天を望むなら秋の乾燥期がねらい目である。けれども、この時期はまだ暑い。今回、南国を想定して夏用の服を準備していた。しかし、実際には肌寒いくらいの気候であった。

船を離れては、カヤックの体験をしたり、ハロン湾のなかでも最大級の鍾乳洞、スンソット洞窟を見学した。また、カットバ島を訪れ、自転車や電気カートでべトハイ村のオーガニックファームの学習や花や虫、鳥など発見しながらゆっくりとした優雅な時間を過ごした。ハノイでは旧市街、大聖堂、ホーチンミン廟などを見学した。

ハノイでまず驚くのがバイクの洪水。これぞベトナム!と言わんばかりの量のバイクが道路を埋め尽くしている。二人乗り、三人乗りは当たり前、中には子供を連れた4人乗りというのも見られる。片手運転でスマホを見ている若い女性は、まるで軽業師のようである。

そんな道を旅行者が横断するのが一苦労。しかし、地元の人はひっきりなしに走ってくるバイクをかき分けて悠々と横断している。どうも、ドライバーとアイコンタクトをとって、急ぐことなくゆっくりと横断するのがコツのようだ。バイクは歩行者に道路を譲ることなくバイク優先で直進してくる。

しかし、ドライバーの目を見ながらゆっくり歩いていると、直前でピタリと止まるか、器用によけてくれる。このような交通量の多い道路を平気で歩くことができるようになると、横断するのが楽しくなってくる。街歩きを怖がるばかりでは旅が楽しめない。

経済発展に伴い、いつかバイクは減っていくだろう。この有名なバイクの群れの風景も無くなり、車社会になる日は案外近いかもしれない。日々喧噪とカオスが渦巻くハノイの交通事情に驚嘆しながらも、発展著しいダイナミックなエネルギーと若さが羨ましかった。

旅の最終日。宿泊先のホテル・シェラトンに入ろうとしたら、セキュリティーゲートで金属探知機のチェックを受けた。しかしそれは見せかけだけ。ゲートの脇から自由に出入りできるほどの杜撰な点検であった。聞けば、ベトナム訪問中の安倍首相が泊っていることが分かった。

我われは13階に宿泊したが、安倍首相は最上階の18階に陣取っているようである。添乗のお嬢さんがコピーをとりに階上に上がったら、安倍首相とパッタリとあったそうで、一人で無防備に歩いていたとのこと。

オバマ大統領、プーチン大統領の来日時の物々しい警護、そして11月に訪れたトランプ大統領の大規模な警備体制と比較すると、驚くほど見劣りのするものであった。首相の警護体制は両政府の連携で実施しているとは思うが、いくら友好国といえ、これではテロリストの攻撃があったら防ぎようがないだろう。日本国の首脳にたいして、もう少し丁寧な警備ができないものかと不安になった。

 ベトナム・ハロン湾 Youtube


5. 優雅に旅するモロッコ周遊

北アフリカのアラビアの都モロッコは、僕にとって幻想的な異郷と言ったロマンティックなイメージがある。映画・カサブランカ、外人部隊、カスバ街道などと、エキゾチックな雰囲気のするところとして憧れていた。4月、K社の「優雅に旅するモロッコ周遊9日間」のツアーに参加した。参加人員は6名と少なかった。サブランカ→青の街シャウエン→フェズ→ウオルビリス→エルフード→メズーカ→サハラ砂漠→ワルザザード→アイト・ベン・ハッドゥ→マラケシュ→アルジャディーダ→カサブランカと周遊し、短期間に数多くの観光地を集中して回った。
日程:4月18日~4月26日(9日間)

ところが、最近とみに新しい出来事が覚えられなってきた。また覚えたはずなのにすぐに忘れてしまう。覚えていたことが思い出せないと言った記憶障害が進行してきた。そんなわけで、旅で見たできごとの半分ぐらいは記憶から抜け落ちてしまっている。何とも情けない有り様である。

それでも記憶を手繰りながら2,3紹介しよう。

サワラ砂漠:今回の旅の見どころ一つであった。風と砂と星と。静寂の砂の国。うねる砂丘が延々と広がる砂丘群から、美しい太陽を見せてくれる光景を当て込んだ。エルフードから4WDに乗り換え、砂漠のオアシス・メルズーカ砂丘に向かった。

しかし、より深く砂丘地帯に入り込み、砂と空以外には何もない世界を感じるためには、砂漠だけで3、4泊の日程を組まなくてはならないであろう。手軽に行けるコースでそれを体験するのは無理であった。加えて天候が悪く朝日、夕日も望むことができず、まったく期待外れに終わった。

青の街シャウエン:シャウエンは、北アフリカ・モロッコ北部のリフ山脈の奥深くにある。決してアクセスがいい場所ではないが、山間の美しいブルーの町は「おとぎの国」と絶賛されている。近年注目され世界中から旅行者が訪れている。

街全体が青い理由は、青を神聖な色とするユダヤ人が移り住んだ際に染めたという説や、単純に虫除けという説、強い日ざしで家の中がまぶしくならないようにするためだとか諸説入で様々。以前は、イスラムの聖域として異教徒の立ち入りを禁止していたそうだ。イスラム建築の特徴として、建物の外部に庭を作らないと言った一種独特の生活感のなさや秘境的なオーラが感じられた。

マラケッシュ:ベルベル人が築いた王朝の都。ジャマ・エル・フナ広場ではヘビ使い、アクロバット、占い師などが集まる非常に活気ある広場。また、ベン・ユーセフ・モスクにかけて広がるグランド・バザールは圧巻であった。(イスラム圏ではスークと言う言葉を使う)僕はこれまでに見たことのないスケールであった。

ついでながら、長時間のフライトで狭い座席に長時間拘束されることは辛い。まして歳をとってからは耐えがたい苦行である。今回の旅は成田からパリ12時間半、パリからカサブランカ4時間、トランジットを加えると18時間の行程になる。普通ならこんな遠路は敬遠し、旅行を断念するところであるのに、なぜそれを可能にしたのか。

それは、新型のビジネスクラスシートを利用したからである。前回のベトナムもこのビジネスクラスを利用した。フライト6時間と短かったが快適であった。これに味を占め今回も利用した。
JAL、ANAに投入されている新型ビジネスクラスシート(ボーイング 787)はパーテーションで個室感を高めたり、フルフラットのベットまでできるのである。ここで、美味い料理をたべ、上等な酒を飲んで、眠くなったら寝るといった贅沢な時間を過ごしていると、アッと言う間に目的地に到着している。

僕は、これまでもビジネスクラスは利用したことがある。しかし、仕事で使わせてもらったり、妻同伴の旅行のぞいてはめったに身銭を切ってまでもビジネスは使わなかった。例外として「インボラ・アップグレード」があった。インボラ・アップグレードとは、エコノミークラスのチケットしか持っていないのに、ビジネスクラスにアップグレードされること。オーバーブッキングなど航空会社の都合でアップグレードされることを言う。昔はこのインボラが度々ありラッキーな思いをした。だが、食事はエコノミー料理である。ビジネスの美味い酒や料理を横目で眺めて、何かわびしい気持ちになったものであった。

わが家は老後の蓄財も多少あり、金銭的な余裕が少しくでてきた。にもかかわらず、いまだ貧乏人根性が抜けない。ビジネス席を使うことに「もったいない」ような、そして「こんな贅沢をしてよいのか」と言った罪悪感が頭をよぎる。これは戦後の貧しい時代に育った人間のトラウマなのか。

それでも老い先短くなり、数多くの旅行もできなくなってきた。せめてもの贅沢を許してもらうことにしよう。何と言っても、ビジネスとエコノミーでは、疲れがまったく違う。ビジネスは、いわば家のソファーやベッドで休んでいる感覚。エコノミーに乗っていると疲労が溜まるが、ビジネスでは逆に疲労が回復したと感じられるほどである。

 モロッコ写真Flash

 フナ広場馬車で観光・Youtube

6.高山植物の宝庫カムチャッカの自然を楽しむ

ユーラシア大陸の最東端に位置し、ロシアの最東端に位置するカムチャッカ半島。豊富な自然を有しているが、1990年までは外国人の入域は禁じられていた。現在も、ロシアの他地域とは陸路が通じておらず、空路か海路で入域しなければならない辺境の地である。

半島内には200以上の火山が存在し,そのうちの29が活火山である.知床の50倍以上の広さの自然が今も手つかずに残り、火山と動植物が多種多様の表情を見せている。カムチャッカの火山群は1996年にユネスコの世界遺産に登録されている。

高山植物は7月頃からが次々と咲き始め、高緯度に位置しているため、日本では高山でしか見られない花が、標高が低い場所でも、出会うことができるのが魅力のひとつである。今回の旅は、アバチャ山(2,741m)山麓を軽い山歩きをしながら、高山植物の花々の鑑賞を中心に、豊富な自然を有している秘境を楽しむツアーである。日程:8月3日~8月10日(8日間) 

8月の初めから咲き始めるピンク色に染まった、ヤナギランが各地に群生し、僕たちを歓迎してくれた。雑草のごとく生えている多くの高山植物を楽しみたい方にお薦めのコースである。

アバチャ山麓:六輪駆動車に乗り込み、川底を走ってアパチャ山登山ベースキャンプへ向かう。生憎の雨模様。ベースキャンプから花を観賞しながらラクダ山に登りアバチャ山やコリヤーク山を眺望する予定であったが花の道を歩き始めて30分。横殴りの雨に襲われ行動を中止する。

バチカゼツ湿原:標高約500メートルの湿原はアバチャ山麓と生態系が異なります。クロユリ、チングルマなど比較的大振りの花を咲かせる植物や、群生するキバナアツモリソウなどに出会った。特にキバナアツモリソウは時期が遅く花を見られないと思っていたら、幸運にも群生に対面できた。

アバチャ湾クルーズ:アバチャ湾は、周囲80kmほどの天然の良港。湾口の「兄弟岩」などを望みながら湾を一周する。条件がよければカレーの釣りも楽しめる。僕たちは10名ずつのグループに分かれてクルーズをした。波もなく絶好のクルーズ日和となった。湾を一時間半ほど進んだところで、船員の一人がウェットスーツに着替え潜水の準備をしている。どうやら昼食にウニやカニを捕獲して僕たちに振舞うつもりらしい。30分ほど潜っていたが収穫はなかった。

場所代えて一時間。今度はバフンウニとタラバガニ(やや小ぶり)が、かごの中にずっしり入っている。それを料理人のおばさんが茹で上げ、新鮮なカニを振る舞ってくれた。旨かった。しかし観光客が食べる程度は問題ないが、現在この海域で、カニの違法漁業が活発に行われ、ロシア政府の頭痛のタネになっているようだ。

ウラジオストック:長い間、軍事都市として外国人の立ち入りが禁止されていた街が1992年に外国人に解放されたウラジオストック。成田から2時間半、簡単にヨーロッパの美しい街並みを味わうことができることから、近年、人気急上昇中の都市である。坂の多い、美しい港町はサンフランシスコを彷彿とさせ、世界で有数な港町の一つに選ばれている。この町には7年前に訪れたことがある。当時に比べインフラ整備も一段と進み、モスクワやサンクトペテルブルクに追走しようとする意欲を感じた。

今回のツアーには20名が参加した。こんな大人数の団体ツアーは初めてで、旅のクオリティ(質)を懸念した。参加者はペアーでの参加はなく全員一人参加であった。関東地区からは7名で、北海道から九州まで全国各地からまんべんなく集まってきている。男性5名、女性15名。年齢層は団塊の世代を中心に40代の男性1名と80代2名であった。添乗はT社の若い小柄な可愛らしい女性で、統率力が気になった。だが、参加者は一様に旅慣れた人ばかりで添乗員泣かせの人はいなかった。旅巧者のつわ者のエピソードを少し書き留めて見よう。

岩手の女性Yさんは160か国の世界をまわったと豪語していた。「国連加盟国194か国を踏破するまでは死ねない」とテンションがたかい。結婚してから始めた海外旅行は半世紀にわたるそうだ。ちなみに、この人は僕と同い年であった。生の執着がだんだん薄らいできている僕とは大違いだ。

南極大陸ツアーを再訪している女性Hさんは「巨大な氷河崩れ落ちる氷塊などスケールの大きさは南極海域ならではのものです。雪と氷の白色と海や空のコントラストはとても美しく印象的あった」と熱っぽく語っていた。
アメリカ基地は見学できたが、日本の昭和基地はオフリミットであったとボヤいていた。

内戦による犠牲者が増え続けている南スーダンへ行きたいと言う女性Sさん。「この国は一体どんな国で、なぜPKOが必要である」のか自分の目で確認したいと意気軒昂である。

もし僕たちがスーダンに生まれていたら、今頃は異民族に迫害され 、あるいは異民族を迫害しているかもしれない。その実態を現地で確かめることは悪いことでは無い。しかし、そんなところに行ったら、危難に遭遇するリスクが高くなるだけだ。事件に巻き込まれたら国もほっとけないだろう。彼女はそんな危険地帯に身を置くことに魅力を感じているようで、困った人だ。でも、どことな魅力のあるくミステリアスなお方でもある。

鹿児島から来た男性Kさんは、かなりご老体見えたが実年齢は僕より若い。やたらとロシア事情に詳しく、現地人とも会話していた。そして、アパチャ山麓の山歩きでは、足を引きずり、杖を突きヨタヨタしながら参加した。途中、車の深い轍に転がり落ち、泥にまみれながらも最後までギブアップしなかった。どこにそんなエネルギー隠されているのか。そんな苦労をしてまで山麓を歩き回る価値をどこに感じているのか、面妖な人だ。

また、思いがけない出会いもあった。小樽から参加した60代前半のKEさんから「私の顔覚えていますか」と突然質問された。僕はまったく見覚えがなかった。が、話を聞いてみると、シベリア鉄道の旅で前に一緒した人であった。思わぬところで、健忘症障害が露見して恥ずかしい思いをした。

夕食時には酒を飲みながら、旅に関して一家言を持った手合の、屈託のない自慢話が延々と続いた。僕はこのキャラの立った、エクセントリックで厚かましい人たち、でも憎めない連中の話に圧倒されながらも、しばしの会話を楽しんだ。そして、生来のやじ馬根性から、この人たちがどんな人生を歩んできたのか、多分に関心を持った。しかも女性の大半が亭主持ちであったことも、興味をかき立てられた。だが、旅の出会いは一期一会。根掘り葉掘り詮索しないのが礼儀である。立ち入った質問を慎んだ。

与太話を一つ。ロシアの風俗事情を記述してみよう。意外かもしれないが社会主義政策をとっていた旧ソビエト時代から「オープン」であって、冷戦当時も活発に行われていたと聞く。そして、オープンさの面では今も相変わらずで、バリエーションに富んだ風俗業態が用意されているようだ。僕は、惰弱な男になってしまったが「色白、金髪で青い目のスレンダーな白人女性と遊びたい殿方」はウラジオストックにお出かけあれ。そういえば度々ウラジオストック詣をしていた悪友が、その昔いた。

 カムチャッカの花 Flash

6.写真展

 第15回大宮「観」写真展

どんでん返し

このまま無事に新しい年を迎えられると思っていた。ところが人生一寸先は闇。何が起こるかわからない。二年前に行ったカテーテルアブレーション療法が有効となったことは前述したが、12月の中ごろ完治したはずの心房細動が再発した。

原因に思い当たる節がある。腰痛改善に行っていたインターバル泳法の強化が考えられる。当初、25mを完泳できなかったクロールが回を重ねるうちに上達し、今では25mを25秒で泳げるようになった。このタイムは成人の標準としては遅い方ではない。

僕は物事に熱中すると、我を忘れてのめり込む性癖がある。ま、一種の病気と言っていいだろう。健康管理に取り組んでいたはずの水泳が、いつの間にか、さらなるタイムアップに挑戦してしまった。だれと競うわけではない。「これは自分との戦いだ。」と言い聞かせ、せめてあと5秒短縮してやろうとハードな訓練に励んだ。若いころ25mを20秒は楽々切っていた。その夢を追い求めて高齢者にあるまじき軽率な行動をした。

しっかり水に浮くための「正しい姿勢」。前に進むための効果的な「腕の回し方」。「キックの間のとり方」。そして、苦しくならないための「息つぎの仕方」「息つぎのタイミング」。などを工夫しながらパワーアップを試みた。

これが、心臓に無理な負荷をかけていることはうすうす分かっていた。それでも努力の成果が徐々でてくると面白くなってやめられない。「病膏肓に入る(やまいこうもうにいる)」とはこのことだ。本当に愚劣なことをしたものだ。

かかりつけの医師からは「自分の歳を考えなさい」とこっぴどく叱られ、妻は「年寄りの冷や水ね」と冷たく微笑んだ。あぁ~なさけなや!

しばらくは様子見で病状が悪化するようであれば、また、日赤病院の世話になるだろう。血液をサラサラにする抗凝固薬プラザキサの服用が再びはじまった。


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